• 力強いボールを武器に1部でも通算5勝を挙げた藤本=代々木第二体育館で(久保健太郎撮影)

  • 06年春専大戦、勝負を決める1勝を挙げ仲間から祝福を受ける=代々木第二体育館で(久保健太郎撮影)

  • 闘志あふれるプレーでチームを盛り上げた=代々木第二体育館で(葛西紘太郎撮影)

最強トリオそれぞれの4年間~藤本雄大~

[卓球部]最強トリオ卒業記念特集(2007年03月31日 18時26分)

 田中、伊東と共に最強時代を築きあげた1人・藤本雄大(商4)。4年次春には1部の強豪を相手に4戦3勝という好成績を残し、3位入賞に貢献。『駒澤に藤本あり』をアピールした。大学生活を終え、今駒澤を去る藤本。そんな藤本の4年間を振り返る。

 関西の猛者駒澤へ

 兵庫の雄・滝川第二高のエースとしてその名を馳せていた藤本。高校2年次の全日本選手権ジュニアの部では優勝候補を下すなど、名は全国にも知れ渡っていた。当初、藤本は関西方面の大学への進学を考えていた。しかし「関東はレベルが高い。そこで戦ってみたい」との思いから関東方面の大学への進学を考え始めた。そしてちょうどその頃藤本に誘いをかけたのが仁王前監督と田中だった。「力のある同期が入るし、駒澤を1部に上げようという気持ちになれた」と藤本は当時のことを振り返る。こうして関西で腕を鳴らしていた男の、関東での挑戦の日々は幕を開けた。

 歴史を変えた1人

 田中、伊東と同様に1年次からレギュラーの座を奪うと、2年次秋の入替戦では勝負を決める1点を叩き出すなど、チームの一翼を担う存在となっていた。そんな藤本が「4年間の中で1番心に残っている」という試合がある。それは4年次春のリーグ戦。1部3位というチーム最高成績を残した試合だ。藤本は2戦目の埼工大戦で白星を挙げながらも3戦目の早大戦では控えに回った。「外れた時は納得できたけど、試合が終わってからやっぱり納得できなかった部分があった」。やるせない思いだけが藤本の心にあった。だが4戦目の専大戦に6番手で出場すると、マッチポイントを握られながらもそこから逆転勝ちを収めた。続く中大との最終戦でも世界大学選手権日本代表に名を連ねる選手を撃破。「藤本がいなければ3位はなかった」と仁王前監督が口にするほどの活躍ぶりだった。「みんなのために戦えた。素直に嬉しい」歴史を塗り変えることができたからこそ感じることができる達成感が藤本にはあった。

 将来の夢は指導者

 「駒澤に入って良かった」。田中、伊東と同様に藤本は4年間をこう振り返る。「自分は本当に駒澤に入って正解だったのか」と思い悩んだ日々もあった。シングルスで結果を残すことができず苦しんだ時もあった。それでもそこには自らが歩んできた4年間に満足できる藤本がいる。「高校の時は正直あまり好きではなかった」という団体戦。それが大学に入り「好きになれた。みんなで勝ちにいくのがおもしろい」と心から楽しめるものとなっていた。
卒業後、藤本は本格的にプレーするのを辞め、「趣味感覚でやる」卓球へと移行する。「練習を見て、本当に楽しそうに卓球をやっていた。自分にはこういう雰囲気が合う」とすでに自らが選んだ道に光を見出している。「将来は指導者になりたい」と夢を語った藤本。自身の教えた選手達が〝藤本越え〟を果たすことに向かい、藤本が築く自身の新たな人生の、始まりの鐘が鳴った。

藤本雄大(ふじもと ゆうた)
1985年3月25日、兵庫県生まれ
兵庫県・滝川第二高校出身

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